不安、苦しみの低減だけではなく、能力を発揮できるマインドフルネス瞑想
メディテーションは日常に取り込んで、こつこつと続けてゆくと驚くほどの効果があります。
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しかし、私たちがメディテーションをするというと、愛や「波動」というものに包まれようとしたり、、何かの啓示を得ようとしたり、リラックスしたり、心を落ちつけたり、はたまた「無」になったりすることをイメージします。
もちろん、このような瞑想もありますが、いくつかデメリットもあります。
たとえば、
愛や気持ちよさを得るためにする、ということ自体、すでに感情や思考をコントロールしようということになってしまいます。
何度も何度もここでお話ししていますが、感情や思考は湧いてきて消えてゆくものです。
これらをコントロールしようとすることによって、ますますそれにとらわれてしまうことは、私たちは実体験済みです。
なかなか寝付くことができない時、寝ようと努力すること自体が寝ることを妨げる、あの状態と同じことになるのです。
一時的には効果があったとしても、こんなことを繰り返していること自体が長期的に効果がないことの証明でもあります。
ですから、感情や思考をコントロールするためにメディテーションをやったところで、どうしようもなくなってしまいます。
確かにリラックスしたり、心を落ち着かせる時間と空間は必要かも取れませんが、私たちの日常は普段からストレスにさらされています。
その度ごとに、部屋に閉じこもってメディテーションをしたところで、また部屋から出てきたらストレスにさらされてしまいます。
結局はずっと落ち着いた状態を維持しようとすれば、世俗を離れて、社会や人間関係を捨てて出家でもしなくてはなりません。
いや、それですらストレスになるでしょう。
考えてみると、リラックスや心の安らぎを得ることすら、感情や思考のコントロールになってしまい易いものです。
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何のためにメディテーションするのかといえば、思考や感情と一体化して振り回される状態から、思考や感情を観察する側に回るためです。
思考や感情は自分だけの脳内の出来事であり、これらは幻想や妄想・妄想と呼ばれるものです。
これら幻想・妄想に反応して役立たない行動(苦しみを生む行動)をとらないようにするためです。
私というものは思考や感情ではなく、思考や感情を「持つ」ものなのです。
決して思考や感情ではありません。
思考や感情を事実として信じるからこそ、これらをコントロールしようとするのです。
これらをコントロールしないと幸せになれないかのような強迫観念を持ってしまうのです。
思考や感情を観察するということは、
一切の価値判断(「正しい・間違い」「きれい・汚い」「ポジティブ・ネガティブ」などなど)をせず、思考や感情を一切コントロールせず、「今、ここに」集中して観察する
ということです。
イライラしていても、不安になっていても、それを鎮めようとするのではなく、そのイライラ、不安を観察するのです。
ですから、リラックスするためや安らぎを得るためのものではないということがお分かりかと思います。
そして、思考や感情を観察する時は、「今、ここ」にしか集中できません。
過去や未来は思考が作り出すものです。
今、これらはどこにもありません。
このメディテーションをやっている間じゅう、思考は未来に行ったり、過去に行ったり、今、ここにないところに心を彷徨わせます。
その度に、今、ここに戻ってくるのです。
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このメディテーションは部屋に閉じこもらずとも、どこででもできます。
会議をしながら、歩きながら、食事をしながら・・・いつでもできるのです。
このメディテーションは、釈迦が悟りを開いたと言われるヴィパッサナー瞑想がベースにあります。
ヴッパッサナー瞑想と違うのは、宗教色をことごとく取り除いたということです。
これらはマインドフルネス瞑想と呼ばれます。
欧米で主流となっている第3世代認知行動療法の中心的技術にマインドフルネス瞑想があります。
メディテーションの効果が最近、あらためて見直され、Google社やFacebook社などが社員教育にも積極的に取り入れています。
ストレスの低減やうつや不安、恐怖などの苦悩の緩和のみならず、人の能力や可能性をとても広く広げ、人の心と人生を豊かにしてくれます。
私たちは苦しいことがあると、思考や感情をコントロールしよう、ポジティブに考えよう、感謝をしようということを繰り返してきました。
それしか方法が分からないからです。
しかし、それらに効果があるならば、それらをやり続ける必要すらないでしょうが、現実は苦しむ度に同じことをやっています。
効果がない場合、違うことをする必要があります。
その違うことが、まずはマインドフルネス瞑想なのです。
マインドフルネス瞑想はスキルですから、練習して身につけないとどうしようもありません。
しかも、普段事実だと信じ込んでしまっている思考や感情を観察するわけですから、すぐに思考や感情に取り込まれてしまいます。
最初のうちは自動車の練習と同じように身につくまで練習しなければなりません。
そして、絶対にやってはいけないことが、マインドフルネス瞑想を思考や感情のコントロールやリラックスを得るため、愛や波動を感じるためにやってはいけないということです。
多くの人が、これをやってしまうのです。
歩くより、自動車に乗ると生活圏が広くなり、いろいろな便利さが増えるため、自動車に乗るための練習をするのですが、気がついたら自動車を担いで歩いてしまっています。
歩くことと自動車に乗ることは全く違うのに、思考に取り込まれると歩いてしまうのです。
上にも書きましたが、それこそが、これまで通りの思考や感情のコントロールです。
これまでとは相容れない新しい方法を学ぶとき、新しい方法を古い方法でやったとしても何も身につきません。
ただし、身についたときの便利さというか、メリットは計り知れないものがあります。
勝手な思い込みで「しない」ことを「できない」と言い換えて、何もしなかった、あるいは避けていたことができるようになります。
結局、歩むのを阻んでいたものは自分の思考と感情にしか過ぎないことがわかるからです。
歩くことができないのではなく、自分で歩かなかった
このことが本当の意味でわかるのです。
思考や感情それでもたくさん湧いてきます。
これまでは、それらと戦い、取り憑かれ、思考や感情のいいなりになって人生を浪費してきました。
何かする時にすらも、まずは思考や感情をより良いものにしないと行動ができないと信じて疑ってきませんでした。
思考様、感情様、なんとか気分を良くしてください
そんなことをお願いし、そのための頭の体操や準備運動を始めて、思考様、感情様が機嫌をよくして初めて行動するという無駄なことをやってきました。
思考様、感情様は気まぐれで、放っておいても登場しますし、登場した途端、ほとんどの場合ネガティブなことをつぶやいたり、できない理由をもっともらしく演説したりするのです。
本当のことを言えば、私たちは思考様、感情様の奴隷ではなく、これらを全部持ちながら行動できるのです。
その内容がネガティブかポジティブかは全く関係ありません。
思考様、感情様はそういうものだ、また始まったと思って、それとは独立して自分が歩みたい方向へ歩くことができます。
そして、結果的に、おまけとしてリラックスや不安の低減があるのです。
こういったことを私たちはV.d.s.は、できるだけたやすく身につくようにさまざまな研究を重ねています。
メンタルサロンでは、このような瞑想が初体験で、何をどうやったらいいのかわからないという人にうってつけです。
たのしく、そして身につくものを提供しています。
ぜひ、興味がありましたら参加してみてください。
一緒に楽しみましょう。
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詳細はこちらから → http://
5/25 メンタルサロン 19時
5/29 メンタルサロン 15時30分
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