悪霊に取り憑かれて人生が台無し
昔の怪談映画を見るのが好きです。
特に番町皿屋敷や累ヶ淵、牡丹灯籠などなど
古いドラマで「怪奇十三夜」なんてものはテレビにかじりついて見ていました。
さて、有名な四谷怪談というものがあります。
お岩の亡霊に憑かれた田村伊右衛門は、目の前に現れるお岩が怖く、めったやたらに刀を振り回します。
目の前の人間がみんなお岩に見えるので、恐怖のあまり刀を振り回すと、新婦や義母を斬り殺してしまっていることに気がつきます。
しかし、第三者の目から伊右衛門を見ると、誰もいない空間に向かって叫び、刀を振り回し、いろんな人に対して切り掛かっているだけなのです。
たとえ伊右衛門の目にはお岩がそこにいるように見えたとしても、第三者からは何も見えないのです。
私たちも思考という亡霊に取り憑かれた時、同じことをしているのです。
思考はその人の頭の中に湧き上がるものにしか過ぎません。
最初は脳が作り出す思いつきなのです。
しかし、思いつきを事実だと信じてしまうと、今度はその事実を証明するために、都合がいい「証拠」を集めてゆくのです。
その「証拠」とは、理由付け、評価、判断などです。
これらも思考に過ぎないのに、私たちは思考を思考で補強してゆくのです。
思考は頭の中以外には存在しませんし、他人から観察不可能なものです。
こういったものは幻想、妄想といいます。
つまりは、幻想や妄想をさらに幻想や妄想で補強してゆくのです。
頭の中で幻想や妄想が「事実」であると信じてしまうと、それに対する対策をとります。
対策をとるということは、幻想や妄想をもとに、その対策を講じるのです。
その人にとっては幻想や妄想ではなく「事実」ですから、必死で対策を講ずるのです。
このことは、頭の中の幻想や妄想に振り回されて、それがあたかも事実であるかのように信じ、それに基づいた行動を取ってしまうのです。
ですが、第三者からその人を見るとどうでしょう。
第三者はその人の頭の中は見えません。
見えるのは行動だけなのです。
その人にとっては不安や恐怖、心配などに頭が支配されて、行動を変える時、その行動はとても防御的、攻撃的、あるいは虚無的なものとなってしまいます。
人はその行動だけを見ます。
お岩の亡霊に支配されて刀を振り回すのと、思考に支配されて、その思考に基づいた行動をとるのとどんな違いがあるというのでしょう。
もし、伊右衛門が、自分が見ているものが単なる幻想や妄想であると気づいたならどうなるでしょうか。
確かに見ていると気持ちのいいものではありませんし、見てしまうものはどうしようもありません。
そこで、それらと戦ったり、それらと逃げたりしてしまうこともあるでしょう。
しかし、戦ったり逃げ出したりすること自体が、すでに見ているものが「事実」であると信じているからことそうしてしまうのです。
そうではなく、「事実」ではなく幻想や妄想であると知ったなら、それらを信じて行動する必要はなくなります。
暴れることもなく、逃げ出すこともなく、
「今、自分は幻想や妄想を見ている」
それだけで終わってしまうものです。
幻想や妄想は信じさえしなければ、何の支配力も生み出しません。
行動を支配することすらないのです。
思考に対しても同じことがいえます。
もちろん、すべての思考が亡霊のようなものではありません。
私がここで述べていることは、
思考を信じて役に立たない行動をしてしまう時のこと
なのです。
思考を事実として信じ、それに取り憑かれた行動をとる人は、多くの場合は役立たない行動をしてしまうのです。
その人にとって思考は事実ですから、「悪い思考」は持っているだけでも嫌な気分になります。
そこで、まず何かする時にはポジティブで健全な思考を持たないといけないことから始めるのです。
感情の場合も同じです。
モチベーションややる気がないと行動ができないと固く信じているような場合です。
そんな人は、
思考様、感情様、どうかいい思考、感情を持ってください
そうすれば私はきちんと行動できます
そうでないと行動できないのです
と言って、思考や感情が良くなるようにコントロールしようとするのです。
嫌な思考や感情を取り去って、都合のいいものだけを残そうともします。
それらができなければ、逃げ出すということすらします。
しかし、これらに効果がないことは、これまで同じ状況になると同じことを繰り返したことでも分かることでしょう。
効果があるなら、すでに思考や感情から「悪いもの」がなくなっているはずです。
そんなことを達成した人は誰も見たことはないでしょう。
これらは都合良く、都合のいい部分だけを残して手放すことなんてできないのです。
思考や感情は幻想や妄想ですから、それらに反応しないで、ありのまま持つことができます。
反応しないでありのまま持つと、それ以上反応はしません。
そして、それらを持ちながら、思考や感情とは独立して行動することはできます。
そうやって行動している時に、結果として最初にあった思考や感情という幻想や妄想は消えてしまっていることが多いのです。
思考に取り憑かれている人は、取り憑かれていることすらわからず、
どうしたらいいというんだ
自分には何もできない
過去や他人や社会が悪い
などと、
できない理由
現状の苦しさ
今となっては責任のとりようもないことへの追及
を述べ続けているだけになってしまいます。
もちろん、こんなことをしても何の解決にもならないのです。
何の解決もならないですから、苦しみが続くだけです。
これは、取り憑かれていることがわからず、もはや悩むことが目的となってしまっているようなものです。
こうなると、悩みがなくなると困るかのようにさえ見えてしまいます。
もし、取り憑かれていることに気づき、そこから自由になることができるとしたら、私たちはどんなことに対しても行動することができます。
思考の牢獄から脱すると、人生そのものが変わったように見えます。
私たちを今の苦しさに押しとどめているのは、私たち自身なのです。
それがどんなに辛いように見えても、そこにとどまるか止まらないかは、私たちの選択なのです。
物理的に不可能なことは誰にもできません。
しかし、当たり前のことですが、それ以外なら誰にでもできることなのです。
「できる」ことを「できない」と表現する時、それは正確には
しない
だけなのです。
単に「しない」だけなのに、それを「できない」と言い換えてまで、自分を押しとどめる必要がどこにあるのでしょうか。
つらいことだと私たちが思うのは、そのもの自体からではなく、そのものをそう捉えている考えから生ずるのです。
私たちの人生はたった一度きりで、いつ終わるか分からないかけがえのないものです。
つらいことや苦しみがあるのが当たり前の人生です。
それらは人生の体験の一部であり、決して避けることができないものです。
避けようとしても、あちらの方からやってきます。
人生で体験することは、どんなものでもありのまま受け入れましょう。
そうすることによって、私たちは活き活きと有意義に生きる人生を歩むことができるのですから。
思考という亡霊の正体を知り、それをありのまま受け入れ、それ以上の反応をせず、それに支配されない行動をとる時、私たちの不必要な苦しみは消滅するでしょう。
そのための訓練に私たちは
マインドフルネス
を大胆に取り入れています。
マインドフルネスについては、以下を参照してください。
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仏教のヴィパッサナー瞑想から宗教色を取り除き、心理的技術として確立しました。
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