ファウストの日記

心理学を利用して苦しみを抜け出し、自分を変えることをサポートします

西洋レイキと霊気療法は全く別のもの



ふつう、霊気療法というと、ほとんどの人は、ヒーラーと呼ばれる人が、
チャクラと呼ばれる部分に手を置いたり、
オーラを修復したり、場合によっては高次の存在と接触すると称して、
不思議な儀式を行ってみたりするものを想像するでしょうし、
実際にこのようなことを体験した人もいるでしょう。

ヒーラーになるには高額な講習料を支払ってアチューンメントという儀式を受け、
そこでシンボルと呼ばれるものを受け取ることによって、階級が上がるシステムとなっています。

最後は、第1から第3シンボルの統合の第4シンボルを伝授してもらって一人前のヒーラーとなります。
ヒーラーが行うものは精神性の向上であるとか、ヒーリングとかという
とてもスピリチュアルな内容となっています。

これらは西洋レイキと呼ばれるものです。

実は西洋レイキは日本にある霊気療法とは全く別物なのです。
霊気療法にはチャクラもオーラも、ヒーリングも高次の自我も全く関係ありません。


私たちは頭やお腹が痛くなるとそこに手を当てたり、手でそこを押さえたりします。
人が背中やお腹が痛いというとさすってあげたりもします。






なぜそのようなことをするのでしょう。

頭痛や腹痛がある時には、
手を当てない状態と、手を当てている状態を比較するとよく分かります。

手を当てていなければ我慢できない痛みでも、
手を当てているときは幾分か痛みが和らぐ経験をしたことが誰でもあるでしょう。
時にはそのまま痛みがなくなることさえあります。

手を当てようが当てまいが関係ないさ、という人は痛みがある時、手を当てずにいてみましょう。
手を当てないときと比べて痛みが強いことが分かるでしょう。

手を当てているかいないかだけのことなのに、なぜ痛みに対して違いがあるのでしょう。

この手を当てて痛みを和らげるということを病気の改善のために体系化したものが霊気療法なのです。

大正11年に臼井甕男という人が霊気療法を発見し、体系化したのでこれを臼井霊気療法といいます。




臼井霊気療法とは、


霊肉一如となって平和と享楽の生涯を完うし、
傍ら他の病者を癒し、自他共に幸福を増進することが使命



と、臼井霊気療法学会が昭和初期に出版した霊気療法必携の中に記載されている『公開伝授説明』で、臼井先生が自ら述べておられます。




つまり、霊気療法とは、心身の健康を維持するためのものであり、本来は病気の改善に使われるものなのです。

そこには、西洋レイキにある秘密的な儀式も、欧米人好みのチベット密教ヒンズー教の影響を受けた思想もありません。
あるのは、ただひたすら手を当てて病気の改善を行う実践者がいるだけです。


私たちV.d.s.は心理学を駆使する様々な方法を開発する一方、霊気療法も行っています。

実際に霊気療法を経験してみると、とても気持ちがいいことが分かります。
うとうととして寝てしまうこともたびたびあります。

何か超常的な不可思議な力があると信じるのではなく、
手を当てることによるとてもリラックスする作用が、
心身に大きな影響を与えることは間違いないと思われるからです。

実際にパニック障害や不安障害、その他の症状の改善に大きな成果を示すことがあります。

西洋レイキでは習得に何十万円もかかるようですが、
私たちは病気の改善を目指す霊気療法をできるだけ広めるために、
その習得をとても安価に提供しています。

もし興味がありましたら、ぜひ「メンタルサロン」で体験してみてください。



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西洋レイキではない本当の霊気です。

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11/27 メンタルサロン 15時


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ネットで悪口を書かれた - どうふるまうか

ネットで悪口を書かれたら腹が立ちます。




アクセスブロックをされようものなら、
自分が否定され、無視されたかのように感じ、もっと腹が立ちます。

LINEで既読無視をされると、あたかも自分が無視されていると信じてしまうのです。




足跡をペタペタ残されたら、あたかも自分の部屋を覗き見られ、
プライバシーが侵されたかのような錯覚に陥り、不快になります。

こんなことになると、悪口を言われたり書かれたりしないように、
相手を注意したり、ネットなら通報したり、ネットの友人に根回ししたり、
同じようにアクセスブロックしたり、負けまいと悪口を言ったり、
様々な努力をします。

気が付くと一日中、相手はこう考えているに違いない、次はこうするかもしれない、
すでにネットの友達も取り込まれているかもしれない、なぜ相手はアクセスブロックをしたのかなどを
考えています。

同じことを頭の中でぐるぐると考え、今度はそれが異様な行動に表れて、
それを見ている人が、その異様な行動を奇異な目で見たり、
不快な思いをしたりするようになることが多いものです。

嫌われないでおこうという努力が、結果的に人から敬遠される行動をとってしまうのです。

そうなると今度は、自分が「正しい」「被害者」、相手が「間違い」「加害者」という思考パターンに陥りやすくなります。
自分の行動が人から見てどう映るかというより、自分の行動そのものが「正しい」と信じているため、ますます異様な行動が強化される場合もあります。

さて、ここで考えてみましょう。

ネットの書き込みや既読マーク、足跡などは画面に映った単なる模様にしかすぎません。
日本語やマークの意味を知らない人が見たら、そうな風に見えるでしょう。

私たちは模様を文字や意味のある印として認識し、それを解釈します。
解釈は私たちの頭の中で行われることであって、事実としてあるのは画面上の模様だけなのです。

ある偉人はこう言いました。

不安は事実そのものから生じるのではなく、
事実の解釈から生じるものである


思考はとてもずる賢く、

あの人は私のことを嫌っているに違いない、その証拠にこんなことを書いている…

といろんな証拠を挙げて、理由付けして自分の考えが事実であることを証明しようとします。

しかし、人は他人の心を直接観察して分かることはないのです。
他人がどう思う、何を感じているかは決してわかりっこはないのです。
人の心を直接観察しているのではなく、
どこまでいっても、他人の行動に対する「自分の解釈」にしか過ぎないのです。

そして「自分の解釈」は、全人類一般の事実でもなんでもなく、その人の頭に浮かんだ思考にしかすぎません。
その証拠に、同じ体験をしても、全く気にならない人も、とても気になる人もいます。
それは体験に対する解釈が違うからです。

もし、自分が考え、感じたことが全人類の事実であるならば、同じ経験をしたらその人と同じように考え、感じなければいけません。
実際はそんなことはないのです。

私たちは、
自分の解釈に過ぎない思考を相手に投影し、それを事実ととらえ、
自分の解釈にとらわれているのに、相手が悪い、社会が悪いと簡単に信じ込んで
しまいます。

このように、私たちは、単に自分だけが考えていることが事実だと信じ、その「事実」に基づいて行動をしてしまいます。
その行動をさらに理由付けするために「正しい・間違い」「良い・悪い」などの評価という思考で強化します。

他人からも観察可能なもので、人の生存とは関係なくあるものは事実といいます。
たとえば、水や岩、動物や植物などです。
誰もが観察可能で、私や人類が死に絶えても存在するものです。

一方、他人から観察不可能なもので、人の生存とともに生じたりなくなったりするものは妄想や幻想といいます。
たとえば、正しい・間違いという評価や考え、感情、理由付けや比較などです。

解釈は明らかに妄想や幻想の類です。




模様の解釈や人の行動の解釈がその人に取り憑いて苦しんでいるだけなのです。

そして、決して忘れてはいけないのは、他人の行動はコントロールできない、ということです。
脅しても念書を書かせても、悪口を言うかどうかは、その他人が決めることです。
どこまでいっても「悪口を言わせない」というコントロールは不可能なのです。

人がどうするかまでの支配権や決定権は自分にはありません。
他人や世界は自分の思い通りにはコントロールできないのです。


不可能なことをなんとかしようとすれば、ますます苦しみが増えるだけなのです。

頭の中で増殖する

「〜かもしれない」
「〜ちがいない」
「〜べきでない」
「〜べきである」
「〜してはいけない」
「〜のはずである」


などはどんなに事実のように思えても、自分の頭の中の解釈や評価、理由付け、価値観という思考にしか過ぎないのです。
自分の思考は誰からも観察されず、その存在も証明できず、自分がなくなると消えてなくなってしまうものなのです。




幻想や妄想とどんな違いがあるというのでしょう。

妄想や幻想を持つ人は、それを事実として疑わないからこそ、

病識がない


と言われるのです。

それとどんな違いがあるというのでしょう。


苦悩している人を見てみましょう。
頭の中の何かがその人を苦しませているのです。
何かに苦しんでいる場合、自分の頭の中の幻想や妄想に苦しんでいるだけですから。

私たちは、自分の苦しみが世界の中心だと勘違いしますが、どんなに苦しいように思っても、
世界は私たちの苦しみとは関係なく、日はのぼり、水は流れ、人は生活し、動植物はそこにあるのですから。

苦しみは実体としてそこにありません。
頭の中の思考の取り憑かれて苦しんでいる人がいるだけ
なのです。


もちろん悪口を言われ、損害が出たなら法的手段に訴えることもできるし、
ネットなら管理者に通報することもできます。
悪口を言われ、それが事実でないとなれば、きちんと主張することもできます。
できることがあればそれをすることもできます。
あるいは、それを放置することもできます。

悪口を書かれたからと言って自分自身の何かが変化するわけでもありません。

「バカ」と書かれたからといって、その瞬間からバカに変化するわけではありません。
その人のラベルを張り付けているだけであって、それが自分の本質を示しているわけでもありません。
別な人は別な評価を張り付けるでしょう。
ただそれだけなのです。

評価と自分の本質は別のものなのです。

ある人が張ったラベルを見て、別な人がそれを信じる場合もありますし、
そうでない場合もあります。

ラベルを張ること、それを見て信じることは人の自由なのです。
誰もそれをコントロールできません。

その意味で、
「悪口を言わせない」「悪口を聞いた人がそれを信じないようにする」ことは絶対に不可能です。

このように書くと、

では悪口を言いまわる人を放置するといいのか

と言う人がいます。

では、これまで通り、悪口を言わせないよう、自分にラベルを張らないよう、人がそのラベルを信じないようにする涙ぐましい努力をし、
自分の正しい姿だけを他人に信じてもらい、自分の本当の思いだけが人にわかるように努力すればいいのです。
誰も禁止する人はいません。

そんなことができた人はいるのでしょうか。

どんな独裁者でもできたためしがないことです。

自分の思考を信じてしまい、それが事実だと思い込むと、上の状態から抜け出せなくなります。


私たちが何かをするとき行動が正しいかどうかではなく、

その行動が役立つかどうか

が基準となります。

そのように行動して、望み通りコントロールできるならば、それは役立つ行動といえるでしょう。
しかし、物理的に不可能なことをコントロールしようとするのは役立たない行動となるでしょう。

そもそも人の行動や思考をコントロールできないのに、
他人が張ったラベルは自分の本質を表すものではないのに、
そのラベルを見て人が信じるかどうかはその人の問題なのに、


悪口を言わせないために必死になっている人は、何にこだわっているのでしょう。
そして必死になって苦悩が深まり、他人からも奇異にみられ、人を巻き込み、
場合によっては心身の健康まで害するのはどう見ても役立つ行動ではありません。

もし今何かに苦しんでいるとするなら、

思考を事実と信じていないかどうかを確認し、
思考は単なる自分の頭に浮かんだものを他人や環境に投影しているに過ぎないこと


を理解する必要があります。

そのうえで、

コントロールできるものはコントロールして
コントロールできないものは受け入れる


しかないのです。

そうすると、行き詰ってどうしようもない状態で苦しみに時間を割いていたところを、
それとは関係なく、苦悩する代わりに自分のために時間を使うようにできる
のです。

自分の思考の正しさを守るためだけに苦しみを作り出す必要はどこにもありません。

その苦しみの原因を除去することは物理的に可能かどうか、可能ならはそれをすればいいし、
不可能なら苦悩が深まるだけなのでやめて受け入れる方がいいでしょう。

そして多くの場合、苦しみの原因を除去することはできません。
なぜなら、事実の解釈に過ぎない思考が苦しみのもととなっているからです。

私たち人間からその思考を取り去ることはできないからです。
思考や思考が生み出す感情などは除去やコントロールはできないからです。

思考を事実として取り扱うことではなく、
思考と距離をとって、思考を単なる思考のままに扱うことがとても大切ではないでしょうか。


私たちはそんな方法を学び身につけることによって、
どんな苦悩の状態に置かれたとしても、

それとは関係なく、活き活きと生きる人生を作り出します。



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10/26 メンタルサロン 19時
11/03 メンタルサロン 14時
11/05 霊気の源流を訪ねる旅行
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苦悩に対して新しい対応ができる人を作る




精神科医の片田珠美さんは「薬でうつは治るのか」という本の中で、

うつは心の病気ではなく、脳の病気として説明されるようになってきた

と書いています。

実際に医師はきちんと話を聞くよりも薬を処方するだけに留まり、
維持療法を勧めることも多いと聞きます。
維持療法とは、うつは再発しやすいため治ったと思っても一定期間、
あるいは長期間抗うつ剤を勧める方法です。

確かに抗うつ剤を服用すると不安や心配が消えてしまうようです。
しかし、効果がなくなるともとの不安や心配、恐怖がぶり返します。
そうするとまた抗うつ剤を服用・・・

こうなるとお酒を飲んだり、スポーツをしたり、セックスをしたり、
他の薬物を使用して気を紛らわせることと何ら変わりがないように思います。


これらの方法は確かに一時的にはホッとします。
その一時的な安楽の代償として、同じことが繰り返されるのです。
そうして何年も過ぎてゆくのです。





本来は、抗うつ剤によって不安や心配、恐怖が少なくなっているときに、
避けていた物事をこなすことによって、
これらの思考や感情に対する距離の取り方を身につけて、
耐性をつけてゆくことによって解消してゆくもの
ですが、
私たちは決してそうはせず、安易で楽な方法を選択してしまいがちです。

これはうつだけではなく、悩みや行き詰まりなどに対しても当てはまります。


もし、今のやり方が効果あるならば、どうして今のあなたがいるのですか

という質問に対して明確な答えを持つことができる人がどれだけいることでしょう。

モチベーションを高めたり、ポジティブ思考を持とうとしたり、
偉人の言葉を読んで勇気を得たり、忘れようとしたり、気持ちをそらそうとしたり、

それらにもし効果があるならば、どうして今の自分がいるのでしょうか。
いつまで同じことをし続けるのでしょうか。


片田さんはその著作の中でこう言っています。


薬でうつは治るのか? この疑問に答えるためには、
まず“治る”とはどういうことかを明らかにしなければならない。


薬を飲んでいるうちに症状が目立たなくなり、
仕事や家事を何とかこなしていければ(=維持療法)それでよしとするのか、
そして薬の助けを借りながら安楽な生活を送ることを目指すのか、

それとも自らの内面を見つめ、人生を振り返って苦悩も引き受けられるように
なることを目指すのか。

あなたはどちらを選ぶだろう



その上で片田さんは

安楽は治癒ではない

と言っています。

不安や絶望、恐怖や心配、行き詰まりを消し去ってくれる魔法はこの世には存在しません。
うつであってもなかっても、これらはやってきます。
望んでも望まなくても、不安や絶望も恐怖や行き詰まりなどはやってくるのです。

生きる代償としてこれらの苦悩は存在するのです。

私たちは苦悩がないことが幸せだという荒唐無稽の妄想を持ってきました。
苦悩がないことが本当に存在するでしょうか。
生きていてそんなことが実現可能だと本気で思うでしょうか。

ありもしないものを求めたり、現実を否定することは苦悩を増加させます。
これは不必要な苦悩なのです。

私たちはずっとずっと同じ方法でこれらに対処してきました。
同じ方法をやり続けては、決して違う結果は得られないのです。


気がつくと一時的な安楽を得るために苦悩を続けていることに気がつくでしょう。

苦悩はなくなりません。絶対に。

しかし、

● 苦悩に陥っても速やかに抜け出す方法はあります。
● そもそもこれまで苦悩と思っていたものが苦悩ですらなくなることもできます。
● 不必要に苦悩を増やさない方法もあります。



これらは、決してこれまでと同じ方法では身につかないのです。
これらは、これまで私たちがやったことがない方法です。






世界や他人を変えようとする前に自分自身の思考や感情との関わりを変える必要があります。
自分自身の考え方を根本から変える必要があります。
そうすることによって、さまざまな苦悩と共に、
苦悩があったとしても惨めに人生や生活、自分を台無しにせずにやっていくことができるのです。

このやり方をやろうとしてもすぐにこれまでの安楽を求める方法に立ち返って
すぐに挫折してしまった人もいるでしょう。

それは、考えて感じている自分こそが事実を体験していると信じてしまうからです。

ここを離れないとどうしても

安楽を求める苦悩の連鎖の中

に入り込んでしまうのです。

生きている限り影のように苦悩はつきまといます。
これらから目を背けても、現実はそこにあります。

しっかりと目を見開きその苦悩の正体を知り、
それを受け入れ、それとともにいながら、価値ある行動をとることはできます。

そうすることによってのみ、

どんなに自分を打ちのめす苦悩があっても、
それでも活き活きと歩む人生を選択できるのです。

自分を阻む「思考」「感情」から解き放たれるとき、
不可能なこと以外、何でもできる人になることができます。

私たちは、そんな人たちを養成しています。

決して自己啓発でもなければ宗教でもスピリチュアルでもありません。
心理学に基づく新しい方法です。


【私たちの考え方(ダイジェスト版)】
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これを読むことによって私たちの考えが分かるでしょう
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【自己変革のための生まれ変わりセミナー】

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【スピリチュアルでない霊気について】
以下のメンタルサロンで実施しています。




10月10日 臨時のメンタルサロン
10月16日 メンタルサロン


において、霊気と西洋レイキの違いや体験を含めて皆さんとお茶会をしたいと思います。

たぶん、これまでに聞いたこともないお話もあるかもしれません。
楽しみながら、霊気を知り、学びましょう。

特にこの2回のメンタルサロンでは、
病気の改善に特化した方法をみんなで研究したいと思います。

西洋レイキでない本当の霊気を知りたい方、お友達を誘ってぜひ参加してください。



【10月メンタルサロン】
霊気などもしますので、ぜひ参加してください。
詳細はこちらから → http://v-d-s.net/?page_id=17296

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10/10 臨時のメンタルサロン 14時
10/12 メンタルサロン 19時
10/16 メンタルサロン 16時
10/26 メンタルサロン 19時

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病気改善のための霊気 交流会(メンタルサロン)




10月10日 臨時のメンタルサロン
10月16日 メンタルサロン


において、霊気と西洋レイキの違いの話や体験を含めて皆さんとお茶会をしたいと思います。

たぶん、これまでに聞いたこともないお話もあるかもしれません。
楽しみながら、霊気を知り、学び、体験しましょう。

特にこの2回のメンタルサロンでは、
病気の改善に特化した方法をみんなで研究したいと思います。

最近は、精神的疾患に対しても研究を行っています。




体験したい方、西洋レイキでない本当の霊気を知りたい方は、
お一人でも結構ですし、お友達を誘って結構ですので、ぜひ参加してください。


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霊気とレイキ - 似て非なるもの

レイキはもう下火になってしまったのかと思っていましたが、
まだまだたくさんの人がレイキを学び、練習していることを知りました。
国内というより、海外での人気はすごいものがあります。

これはマドンナがInstagramに投稿した画像ですが、
背景には臼井霊気療法学会の「五戒」が使われています。




びっくりしました。

また、レイキは国によっては代替医療として保険適用となっていたりもします。

このように日本発祥の霊気は海外でREIKIとなり、日本へは逆輸入されてレイキとなりました。
日本でのレイキのほとんどはこの逆輸入された西洋レイキです。
西洋化された時に、本来の霊気が持っていたものが失われ、
もともと霊気になかったものがレイキとして教えられています。

失われてしまったのが、霊気の目的が病気の改善が主である、ということと、
その改善をするためのいろいろな手法です。

本来霊気になったものが、西洋化されて付け加えられたものが、
癒しやヒーリング、チャクラやオーラ、前世、波動、高次の存在やエンジェルなどがその類です。




もともとの霊気は病気の改善であると臼井霊気療法を始めた臼井甕男氏は「公開伝授説明」で述べています。
病気を改善することによって、自他が共に幸せになるものであるとし、
医学を否定せず、医学の補完として位置づけていました。


また、臼井氏は霊気をスピリチュアルなものではなく、
いずれ科学が解明する物質的な何かが働いているのだろうということも述べています。

このように比較すると、西洋レイキは霊気と似て非なるものと言えます。

西洋化されていない、霊気の原点である臼井霊気療法学会は現在でも存続し、
当時の技を伝えています。
もちろん、現在でももっぱら病気の改善を行なっているのです。



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今度は禁煙 - さまざまな思考を観察して別な行動をする

私は喫煙者です・・・

というより、喫煙者でした。




少し前にダイエットのお話をしましたが、今度は禁煙を始めたのです。

実はタバコだけはやめたいとは思わず、ずっと続けてきたのですが、

もう何十年もの愛煙家の私が禁煙したらどうなるだろう

という悪戯心が起きたのです。

ダイエットと同じように、決めたらその瞬間から始めます。

そうすると、いろいろな思考が湧き出てくるのです。

もし禁煙できなかったらどうしよう
禁断症状にはどう立ち向かおうか
1本吸ってしまったら失敗かな
今ここでの1本くらいはいいだろうかな


などなど、禁煙を失敗させようとする思考が湧き出てきます。


ダイエットも同じなのです。
食べないダイエットを考えただけでも(まだダイエットをしていないにもかかわらず)

栄養が足りなくなって体を壊したらどうしよう
少しずつでも食べよう
空腹に絶対に負けてしまう
拒食症になったらどうしよう
空腹という体の感覚は我慢できない
少しくらいなら

こんな思考が山のように湧き出てきます。

これまでやってきたことをやめようとすると、
思考は現状維持作用を持っていますから、
新しいことにあれやこれやと言い続けて反対
します。

しかもその内容ももっともらしい理由づけや評価、判断を伴っています。

結局は思考の言うとおりに行動すると、ダイエットも禁煙もできないのです。
肥満と喫煙者のままでいるだけです。






私たちはこんなことを自分で繰り返して挫折してきたのです。

あるいは、こういう考えと戦おう!と決意したとたん

もっと食べたくなりますし、タバコを吸いたくもなります。
食べ物やタバコを見るたびに我慢と言い聞かせているのですから、
ますます欲求が強くなるばかりです。

このような心の中の戦いのために、本来やりたいことすらできなくなります。

食べ物を避けるあまり、友人や同僚たちとの飲み会を断ったりするでしょう。
タバコを避けるあまり、タバコを吸う友だちとの交流も断るかも知れません。

これまで普通にできていた人間関係も普通ではなくなるかも知れません。

でも安心してください。

頭の中に思い浮かぶのは、単なる思考なのです。
自分の頭の中だけの幻想や妄想なのです。
どんなに現実のように感じても、それらには実体がないのです。


しかし、それに拘ると(つまり、考えていることがすなわち事実であると信じてしまうと)戦いや回避が起きます

人が思い悩むのは、そのことを考えて拘っているときだけなのです。
頭の中に雲のように思い浮かんでいるものと、その思考の存在を認め、
そしてその考えを持ちながら自分がやりたいことをすればいいのです。

空腹だから何かを食べたいとかタバコを吸いたいという身体感覚や衝動も、ただそれだけのことです。
これらの状態が常態となれば、気になる程度であって、苦しむものではないのです。

しかし、このような身体感覚や衝動をきっかけとしてたくさんの思考や感情が湧き出てきます。
それらを信じてしまうと、苦しくなりますし、苦しいからこそ戦ったり、挫折したりするのです。




水中に投げ出されたとき、このままでは死んでしまうという考えや感情を信じると、
これらと戦うためにもがいてしまいます。
もがくともっともっとおぼれてしまいます。
おぼれると、それが恐怖を引き寄せて、もっともっともっともがき、ついにはおぼれ死にます。

本当は、何もせず力を抜いて浮かぶといいのです。


私たちは、おぼれてしまう人のように思考や感情のトラップにはまってしまって、
もがき苦しみ、ダイエットや禁煙ができないのです。

身体感覚や衝動はそのままに、そこからわき上がる思考や感情もそのままに、そうするだけなのです。

ダイエットも禁煙もそれが義務になると続きません。
ですから、私は目標も設けないし、目標を公言もしません。

よく自己啓発セミナーなどでは目標を明らかにして、それに向かうんだ、といわれていますが、
そんなことをしたら義務になってしまいます。
義務になると自分の思考や感情と戦ったり、逃げ出したりします。

戦う相手は他でもない自分の思考や感情を相手にです。
自分の思考や感情相手に戦うことほどつらいものはありません。
というのは、生きている限り頭の中での永遠の争いがあるだけで、絶対的な勝利も敗北もないからです。




もし、思考や感情相手に勝利があるというならば、
悩みや苦しみなんてないはずですが、そんなことはないでしょう?
勝ったり負けたりという戦いがあるだけなのです。
そして、この戦いこそがとても苦しいものなのです。

ダイエットにしても禁煙にしてもやりたいからやっているだけなのです。
目標はありません。
自分がこれでいいと思ったときにやめればいいだけなのです。

義務ではなく、やりたいからやっているに過ぎないのです。
そこには意志の強さも必要ありません。
思考や感情を浮かばせるままにし、身体感覚や衝動をそのまま認めて、それとともにいるだけです。

何の努力も必要はありません。

たぶん結果的には体重も喫煙も改善されていることでしょう。

ダイエット中でも、飲み会の誘いがあれば行けばいいのです。
そしてたくさん食べながらも、誘いがないときはダイエットをすればいいのです。
生活に制限を与えて苦しむのは、本末転倒ですし、そもそも思考や感情と戦って勝つことなんてできません。

このように言うと、

私にはできない
我慢がなかなかできない
ついついやってしまう
意志が弱い
おまえだからできる


などと理由づけや評価をする人がいますが、
どんなに理由づけをしても、そう言っている人が肥満と喫煙者であることには変わりないのです。






頭の中にある思考や感情という幻想や妄想に行動が支配された肥満と喫煙者が、
どんなにできないことを力説しても現実は何も変わらないですし、
そうやっていること自体が、肥満や喫煙者であることを選択している行動そのものなのです。

思考や感情が決して事実ではなく、事実の解釈に過ぎないこと
それらは実体があるものではないこと
思考や感情は行動を支配しないこと


これらが分かると、いろんなことができます。
いろんなことができるのは、思考や感情に行動が邪魔されなくなるからです。

物理的に不可能なことは誰にも出来ませんが、
そうでないことは、思考や感情が行動の障害になっているのです。


私の禁煙は今も続いています。
禁煙というより、タバコを吸わない状態が続いているという方が正しいでしょう。

努力してタバコをやめているわけでもなく、
いろんな思考や感情、衝動と共に、吸わない状態が続いています。

とても楽です。

思考や感情との関わりを変えること
思考・感情と行動との関わりを変えること


これらは魔法のようにすぐにはできません。
自動車を乗るときのように練習が必要です。

身につけることが必要です。

これらを体得できるとき、人生は大きく変わります。




考えてもみてください、私たちが苦しみ悩む大半は頭の中の思考や感情によるものだからです。
思考や感情は無くすことはできませんし、コントロールもできません。
しかし、それらを持ちながら行動は別にできます。

思考や感情が、行動しないことの理由にはならなくなります。

そうなれば、私たちは人生を圧倒するような苦しみの真っ只中でも、
それでも自分が大切にしたい人生の方向に歩くことができます。

私たちが日常生活で悩みや苦しみと思っているいろいろなことでも、
それらをすり抜けて価値ある人生を歩むことができます。

何も宗教やスピリチュアルなものに頼る必要はありません。
薬やお酒にも頼る必要はありません。
「悩みをなくしてほしい」という都合のいい対症療法に頼る必要もありません。

マインドフルネスや最新の認知行動療法などの科学的手法によってこれらは可能なのです。

一時しのぎの対症療法をしながら、人生に制限を与えたまま生きてゆくか
人生そのものを根本から見直して、人生のセラピーを行うか
あるいは、なんとかしたいとつぶやきながら何もできないまま生きてゆくか

これらは誰のせいでもない、自分の選択なのですから

自分を変えるために、一度本当にまじめに考える機会があってもいいのではないでしょうか

私たちは、物理的に不可能なこと以外、
どんなことでもできるのですから


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自尊心にこだわる必要はありません ー 思考や感情の支配から抜け出す

以前、自尊心のお話をここに書いたことがあります。




・どうせ自分はダメだ
・何やっても長続きしない
・みんなにバカにされるほど愚かだ
・自分は人より劣っていて、不快で生きる価値がない人間だ
・自分勝手でいつもトラブルばかり起こしている


こんなものはほんの一部です。
もっともっといろんな考えが自尊心についてあることでしょう。
逆に他人を見下すような考えを持っていたとしても、
それが実は上に書いたような考えの裏返しであることはよくあることでしょう。

さて、自分について考えるとき、上に書いたような考えが私たちの頭を占めることがあります。
私たち人間はなんらかの形で他人と関わらないでは生きていけない動物です。
どんなに孤独を望んだとしても絶対に人と関わらないで生きることはできません。

集団生活は人類にとって必要なものなのです。
これは太古に私たち人類が集団生活をしなければ、
他の強い動物に襲われて死んでしまうからでした。

そして、集団生活をする際に私たちは他の人と比較して劣っているかどうか、
違っているところはないかどうかなどを常に比較し、その集団内にとどまろうとしていました。
なぜなら、その集団から放り出されること自体が死を意味するからです。

これらの習性は、現代の私たちにも引き継がれています。

ここでお分かりかと思いますが、「比較」もまた思考の働きであることです。
思考自体はもともとネガティブなものであることは、これまでのブログで繰り返し述べてきました。
ですから、「比較」自体もネガティブなものになりがちなのです。

私たちは思考を事実としてそのまま受け取る習性がありますから、
これらのネガティブな比較もまた事実として受け取り、それを信じて行動します。




なん度も言いますが、

思考は事実の解釈であって、事実そのものではありません。
思考は脳内の作用によって生まれるものであり、その内容はその人だけのものです。
思考は他人から観察することもできず、実体としても存在しないものです。

こんなものは脳内に浮かんだ幻想や妄想と同じものであるのに、
私たちは

考えたことが事実

とあまりにも簡単に信じ、受け取り、行動します。

つまりは、幻想や妄想と同じ思考に支配された行動を取っているだけなのです。
思考の発生も内容もコントロールできませんが、
私たちはコントロールできない思考をコントロールしようとして苦しんでいます。

思考はさまざまな理由づけをし、もっともらしい判断をするなどして、
あたかも思考が事実であるかのように私たちに提示します。


自尊心というものも、実は思考が作り出した

自分に関しての意見や物語

に過ぎないのです。

そして、その意見や物語は

自分という事実についての解釈であって、
自分そのものを表しているのではない


のです。

しかし、私たちはいちばん最初に書いた意見や物語を事実である証明をするために、
その意見や物語に合う記憶やイメージ、感情だけを取り出して理由づけにしようとします。

そして、自尊心を維持すると称して、
いいことだけを考える、いい気分になるあらゆることをしようとします。

気分やイメージというものは移ろいゆくものです。
いい気分だけを思い続けること不可能ですし、
気分という感情もまたコントロール不可能なものなのです。

さらに、自尊心に関わることとなると、いい気分を保つために、
常に劣った存在でないことを証明し続けなけなければならないのです。

そんなこと不可能なことでしょう。




ちなみに

私はこの世でたった一つの尊い存在であり、
かけがえのない、立派な存在である


と本気で思うことができますか?

一時的に思ったとしても、

そんなことはない

と思考が必ず囁きます。

これが私たちの思考の仕組みなのです。





思考や感情をコントロールし続けるということは、
このように

一時的にはうまくいっても、長期的には同じことを繰り返す

ことをやり続けているだけなのです。

その証拠として、

今の自分がここにいる

のです。

自尊心というものは、自分に対する判断や評価という思考が作り出した
物語や意見に過ぎず、それはあなた自身と同じではありません。

あなた ≠ 評価 = 事実の解釈 ≠ 事実


なのです。

あなたは「自分が愚か」ではなく、

自分が愚かという思考を頭の中に持っている

というのが事実なのです。

いろんな考えを持つこと自体は当たり前のことです。
しかし、考えは行動を支配しません。

・考えや感情は単なる頭の中に発生した実体のないもの
・それらはどんな内容であれ持つことはできる
・むしろ、それらを失くしたり、忘れたり、コントロールしようとすると悪化する
・考えや感情とは関係なく、行動できる


これらを体得できるとき、人生は大きく変わります。

考えてもみてください、私たちが苦しみ悩む大半は頭の中の思考や感情によるものです。
思考や感情は無くすことはできませんし、コントロールもできません。
しかし、それらを持ちながら行動は別にできます。

思考や感情が、行動しないことの理由にはならなくなります。

そうなれば、私たちは人生を圧倒するような苦しみの真っ只中でも、
それでも自分が大切にしたい人生の方向に歩くことができます。

私たちが日常生活で悩みや苦しみと思っているいろいろなことでも、
それらをすり抜けて価値ある人生を歩むことができます。


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これらは誰のせいでもない、自分の選択なのですから

自分を変えるために、一度本当にまじめに考える機会があってもいいのではないでしょうか

私たちは、物理的に不可能なこと以外、
どんなことでもできる


のですから




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私たちV.d.s.には活き活きと生きるための大きな三本柱があります。

もし、頭から湧き出す思考や不安などの感情に左右されない行動をとることができたとしたら、
一体私たちはどうなることでしょうか。 (マインドフルネスなどの使用)

もし、原因の追及に力を注ぐ問題志向ではなく、
原因はともかく今から未来に向けての解決志向を基本原理とするならば、
一体私たちはどうなることでしょうか。 (解決志向型の戦略)

もし、私たちが持っている自己治癒力を増進するかもしれないものを
最大限に増強することができたとしたら、一体私たちはどうなるでしょうか。


この三つを軸に私たちはさまざまなことを考え、実践しています。

その目的は

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ということに尽きます。

このようなことができる人を作りあげていってます。

私たちが何をしているのか分からないという人のために、

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