ファウストの日記

心理学を利用して苦しみを抜け出し、自分を変えることをサポートします

ネットで悪口を書かれた - どうふるまうか

ネットで悪口を書かれたら腹が立ちます。




アクセスブロックをされようものなら、
自分が否定され、無視されたかのように感じ、もっと腹が立ちます。

LINEで既読無視をされると、あたかも自分が無視されていると信じてしまうのです。




足跡をペタペタ残されたら、あたかも自分の部屋を覗き見られ、
プライバシーが侵されたかのような錯覚に陥り、不快になります。

こんなことになると、悪口を言われたり書かれたりしないように、
相手を注意したり、ネットなら通報したり、ネットの友人に根回ししたり、
同じようにアクセスブロックしたり、負けまいと悪口を言ったり、
様々な努力をします。

気が付くと一日中、相手はこう考えているに違いない、次はこうするかもしれない、
すでにネットの友達も取り込まれているかもしれない、なぜ相手はアクセスブロックをしたのかなどを
考えています。

同じことを頭の中でぐるぐると考え、今度はそれが異様な行動に表れて、
それを見ている人が、その異様な行動を奇異な目で見たり、
不快な思いをしたりするようになることが多いものです。

嫌われないでおこうという努力が、結果的に人から敬遠される行動をとってしまうのです。

そうなると今度は、自分が「正しい」「被害者」、相手が「間違い」「加害者」という思考パターンに陥りやすくなります。
自分の行動が人から見てどう映るかというより、自分の行動そのものが「正しい」と信じているため、ますます異様な行動が強化される場合もあります。

さて、ここで考えてみましょう。

ネットの書き込みや既読マーク、足跡などは画面に映った単なる模様にしかすぎません。
日本語やマークの意味を知らない人が見たら、そうな風に見えるでしょう。

私たちは模様を文字や意味のある印として認識し、それを解釈します。
解釈は私たちの頭の中で行われることであって、事実としてあるのは画面上の模様だけなのです。

ある偉人はこう言いました。

不安は事実そのものから生じるのではなく、
事実の解釈から生じるものである


思考はとてもずる賢く、

あの人は私のことを嫌っているに違いない、その証拠にこんなことを書いている…

といろんな証拠を挙げて、理由付けして自分の考えが事実であることを証明しようとします。

しかし、人は他人の心を直接観察して分かることはないのです。
他人がどう思う、何を感じているかは決してわかりっこはないのです。
人の心を直接観察しているのではなく、
どこまでいっても、他人の行動に対する「自分の解釈」にしか過ぎないのです。

そして「自分の解釈」は、全人類一般の事実でもなんでもなく、その人の頭に浮かんだ思考にしかすぎません。
その証拠に、同じ体験をしても、全く気にならない人も、とても気になる人もいます。
それは体験に対する解釈が違うからです。

もし、自分が考え、感じたことが全人類の事実であるならば、同じ経験をしたらその人と同じように考え、感じなければいけません。
実際はそんなことはないのです。

私たちは、
自分の解釈に過ぎない思考を相手に投影し、それを事実ととらえ、
自分の解釈にとらわれているのに、相手が悪い、社会が悪いと簡単に信じ込んで
しまいます。

このように、私たちは、単に自分だけが考えていることが事実だと信じ、その「事実」に基づいて行動をしてしまいます。
その行動をさらに理由付けするために「正しい・間違い」「良い・悪い」などの評価という思考で強化します。

他人からも観察可能なもので、人の生存とは関係なくあるものは事実といいます。
たとえば、水や岩、動物や植物などです。
誰もが観察可能で、私や人類が死に絶えても存在するものです。

一方、他人から観察不可能なもので、人の生存とともに生じたりなくなったりするものは妄想や幻想といいます。
たとえば、正しい・間違いという評価や考え、感情、理由付けや比較などです。

解釈は明らかに妄想や幻想の類です。




模様の解釈や人の行動の解釈がその人に取り憑いて苦しんでいるだけなのです。

そして、決して忘れてはいけないのは、他人の行動はコントロールできない、ということです。
脅しても念書を書かせても、悪口を言うかどうかは、その他人が決めることです。
どこまでいっても「悪口を言わせない」というコントロールは不可能なのです。

人がどうするかまでの支配権や決定権は自分にはありません。
他人や世界は自分の思い通りにはコントロールできないのです。


不可能なことをなんとかしようとすれば、ますます苦しみが増えるだけなのです。

頭の中で増殖する

「〜かもしれない」
「〜ちがいない」
「〜べきでない」
「〜べきである」
「〜してはいけない」
「〜のはずである」


などはどんなに事実のように思えても、自分の頭の中の解釈や評価、理由付け、価値観という思考にしか過ぎないのです。
自分の思考は誰からも観察されず、その存在も証明できず、自分がなくなると消えてなくなってしまうものなのです。




幻想や妄想とどんな違いがあるというのでしょう。

妄想や幻想を持つ人は、それを事実として疑わないからこそ、

病識がない


と言われるのです。

それとどんな違いがあるというのでしょう。


苦悩している人を見てみましょう。
頭の中の何かがその人を苦しませているのです。
何かに苦しんでいる場合、自分の頭の中の幻想や妄想に苦しんでいるだけですから。

私たちは、自分の苦しみが世界の中心だと勘違いしますが、どんなに苦しいように思っても、
世界は私たちの苦しみとは関係なく、日はのぼり、水は流れ、人は生活し、動植物はそこにあるのですから。

苦しみは実体としてそこにありません。
頭の中の思考の取り憑かれて苦しんでいる人がいるだけ
なのです。


もちろん悪口を言われ、損害が出たなら法的手段に訴えることもできるし、
ネットなら管理者に通報することもできます。
悪口を言われ、それが事実でないとなれば、きちんと主張することもできます。
できることがあればそれをすることもできます。
あるいは、それを放置することもできます。

悪口を書かれたからと言って自分自身の何かが変化するわけでもありません。

「バカ」と書かれたからといって、その瞬間からバカに変化するわけではありません。
その人のラベルを張り付けているだけであって、それが自分の本質を示しているわけでもありません。
別な人は別な評価を張り付けるでしょう。
ただそれだけなのです。

評価と自分の本質は別のものなのです。

ある人が張ったラベルを見て、別な人がそれを信じる場合もありますし、
そうでない場合もあります。

ラベルを張ること、それを見て信じることは人の自由なのです。
誰もそれをコントロールできません。

その意味で、
「悪口を言わせない」「悪口を聞いた人がそれを信じないようにする」ことは絶対に不可能です。

このように書くと、

では悪口を言いまわる人を放置するといいのか

と言う人がいます。

では、これまで通り、悪口を言わせないよう、自分にラベルを張らないよう、人がそのラベルを信じないようにする涙ぐましい努力をし、
自分の正しい姿だけを他人に信じてもらい、自分の本当の思いだけが人にわかるように努力すればいいのです。
誰も禁止する人はいません。

そんなことができた人はいるのでしょうか。

どんな独裁者でもできたためしがないことです。

自分の思考を信じてしまい、それが事実だと思い込むと、上の状態から抜け出せなくなります。


私たちが何かをするとき行動が正しいかどうかではなく、

その行動が役立つかどうか

が基準となります。

そのように行動して、望み通りコントロールできるならば、それは役立つ行動といえるでしょう。
しかし、物理的に不可能なことをコントロールしようとするのは役立たない行動となるでしょう。

そもそも人の行動や思考をコントロールできないのに、
他人が張ったラベルは自分の本質を表すものではないのに、
そのラベルを見て人が信じるかどうかはその人の問題なのに、


悪口を言わせないために必死になっている人は、何にこだわっているのでしょう。
そして必死になって苦悩が深まり、他人からも奇異にみられ、人を巻き込み、
場合によっては心身の健康まで害するのはどう見ても役立つ行動ではありません。

もし今何かに苦しんでいるとするなら、

思考を事実と信じていないかどうかを確認し、
思考は単なる自分の頭に浮かんだものを他人や環境に投影しているに過ぎないこと


を理解する必要があります。

そのうえで、

コントロールできるものはコントロールして
コントロールできないものは受け入れる


しかないのです。

そうすると、行き詰ってどうしようもない状態で苦しみに時間を割いていたところを、
それとは関係なく、苦悩する代わりに自分のために時間を使うようにできる
のです。

自分の思考の正しさを守るためだけに苦しみを作り出す必要はどこにもありません。

その苦しみの原因を除去することは物理的に可能かどうか、可能ならはそれをすればいいし、
不可能なら苦悩が深まるだけなのでやめて受け入れる方がいいでしょう。

そして多くの場合、苦しみの原因を除去することはできません。
なぜなら、事実の解釈に過ぎない思考が苦しみのもととなっているからです。

私たち人間からその思考を取り去ることはできないからです。
思考や思考が生み出す感情などは除去やコントロールはできないからです。

思考を事実として取り扱うことではなく、
思考と距離をとって、思考を単なる思考のままに扱うことがとても大切ではないでしょうか。


私たちはそんな方法を学び身につけることによって、
どんな苦悩の状態に置かれたとしても、

それとは関係なく、活き活きと生きる人生を作り出します。



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