ファウストの日記

心理学を利用して苦しみを抜け出し、自分を変えることをサポートします

思いや感情をそのまま受け取ることは苦しい人生を送ることになる - 活き活きとした人生を歩むためにすべきこと

私たちは思考や感情に振り回されて生きています。

こんな話はどうでしょう。

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満員電車の中で電車が停車時に揺れて、足を踏まれました。
足を踏んだ人はあなたの顔をじっと見て、何も言わずに降りてゆきました。


きっとあなたは怒ることでしょう。
午前中はそのことを思い出しては気分が悪くなるかもしれませんし、
人によっては罵声を上げたり、その人を追いかけて殴る人もいるかもしれません。

では、あなたは何に対して怒ったのでしょう。

多くの人は、

・人の足を踏んだら謝るべきだ、それをしないのはけしからん
・せめて「ごめんなさい」というべきだ
・黙って逃げるとはとんでもないやつだ


こんなことが頭に渦巻いて

くっそ~

となってしまうことでしょう。

ここで3つのことについて考えたいと思います。

まず一つ目は、現実を思考で否定していないですか

すでにあなたは足を踏まれ、その人は謝罪することなく立ち去ってしまっているという事実があります。
にもかかわらず、

「謝罪すべきだ」

という「べき思考」で現実を否定しています。
現実をいくら思考で否定しても意味がないことです。
起きてしまった事実に対して、「こうあるべきだ」「こうあってはならない」と言ったところでどうにもなりません。
砂に頭を突っ込んで、現実を見なければ大丈夫と考えている滑稽な姿だけがあるのです。

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現実を思考で否定しても現実は変わらないですから、つらいだけなのです。
そのつらさは自分だけが味わっているのです。

さらに、「謝罪すべきだ」という考えには

「(私に対して)謝罪すべきだ」

という言葉が隠れています。
自分がそうされたからとても腹が立っているのであって、
人がそうされているのを見ても同程度に腹が立つかと言えば、たぶんそうではないでしょう。
そんなことをしていたら日常生活は成り立ちません。

つまり、

「足を踏んだ人は私に対して謝罪すべきだ。それが常識だ」

というマイルールを持っていて、それが破られたから怒ってしまうのです。
しかし、しょせんはマイルールにしかすぎません。

あなたが持っているマイルールをすべての人に守らせることなんて物理的に不可能ですし、
マイルールで人や社会をコントロールできるはずもありません。

マイルールを世間一般のルールと信じる「常識」という言葉にすり替えること自体が、
マイルールにしか過ぎないものを人や社会のコントロールに使おうという試みだという証拠でしょう。

そして、常識という言葉で武装しても、マイルールは破られます。
なぜなら、あなたと人は別なのですから。

人はそれぞれマイルールを持ち、必要に応じて使い分けています。
あなたと同じなのです。
あなたの思いは他人とは同じではありません。

マイルールは人に対しては無効であるばかりでなく、破られて当然なのが事実なのです。
その事実に対して異を唱えて、さらにマイルールを適用しようとすると腹が立つのです。

事実は足を踏まれて痛みを感じ、踏んだ人はいなくなっただけなのです。
しかし、ここに現実を否定する「べき思考」から物事を見ると、
つらいだけではなく、怒りが出てくるのです。


二つ目は、何に対して怒っているのですか

私たちが怒りを感じるのは、ほとんどの場合すでに起きてしまったことに対してです。
もうすでに相手の人はいなくなっているのに、

何度も思い出して、それを反芻しながらその思いに対して腹立てている

だけなのです。

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つまり、相手に対して直接に腹立ちを感じているのではなく、
自分の思いに対して腹立てているのです。

実際にその場で、相手がいるときに腹が立ったとしましょう。
そんな場合でも、

相手の行為そのものではなく、その行為に
「べき思考」をかぶせる

から腹が立つのです。

行為は動いたり止まったりするだけです。
その行為(足が踏まれて、謝罪がない)に対して、
あなたの頭の中で、マイルールを適用しようとして失敗すると腹が立つだけなのです。


謝罪すべきというマイルールの人に対する適用

その人はあなたのマイルールを無視して、謝罪せずに立ち去る

マイルールが破られた

腹が立つ


という図式になります。

この場合でも、相手の行為そのものに対してではなく、あなたの思考であるマイルールが破られたことに対して腹立ちを感じたのです。

結局は、自分の思考に対して腹を立てているだけなのです。


三つめは、思考や感情を事実として捉えていないですか

思考や感情は、あなたの頭の中の出来事にしかすぎません。
他人から観察不可能で、あなた自身が死んでしまうとなくなってしまうものです。

事実というものは、あなたがそこにいようかいまいがあなたと関係なく存在するもので、
他人からも観察可能なものです。

要は頭の中だけにある思い付きや感覚、記憶、映像にしか過ぎないもので、
事実とは違うものです。
その証拠に、同じ経験をしても違う考えや感情を持つ人たちもたくさんいることから明らかなことです。

にもかかわらず、私たちは考えたことや感じたことを事実として疑いもなく信じてしまうから、
それが直接的に行動に結びついてしまう
のです。

相手も行為を解釈することなく見てみると、相手は私の足を踏んで立ち去った、という事実だけしか残りません。

そこに

「謝るべきだ」
「ふてぶてしい」
「人の痛みもわからないのか」
「常識知らず」

などという思考や感情を通じて物事を解釈し、その解釈を事実と勘違いして腹立てている自分だけがいるのです。

この三つのことからわかることは、

自分一人が頭の中の出来事に対して怒っているだけ

であることが分かるでしょう。

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私たちは、思考や感情はコントロールできません。
思考や感情の特定の部分を「悪い」と決めつけて、その発生をなくした人を見たことがあるでしょうか。
「不安」「恐怖」「劣等感」をなくした人を見たことがあるでしょうか。

不安や恐怖、緊張や劣等感などは毎日多かれ少なかれ誰でも持つものです。
それらを期待しようがしまいが、勝手に発生します。

しかし、ただそれだけなのです。
頭の外で発生するのではなく、頭の中だけのものです。

こんな思考や感情を事実と信じていたら、それらが気まぐれに発生するたびに
それらに振り回されてしまう生活を送ることになります。

とてもつらいものです。
毎日がジェットコースターに乗っているか、どよんと沈んだままになっているか、
そんな生活が続くことでしょう。

頭の中だけの妄想に反応して、それに振り回されてしまうとこんなことになってしまうのです。

しかし、朗報があります。
本当は、思考や感情は行動の原因とはならない、ということです。

発生してしまう思考や感情を単なる頭の中のものとしてわかると
それに反応しないということができます。


それに反応しなければ、どんなにつらい思考や感情が湧き起ったとしても、
どんな行動をとるかは選択できるようになります。

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私たちも実は日常的に行っていることなのです。

・嫌だと思いながらも会議に出たり、
・会いたくないと思いながらもその人にあったり、
・気分が滅入って布団から出られないと思っていても、家が火事になると飛び出したり、


こんなふうに、思うこと感じることと行動が一致しないことをよくやっています。

思いや感情と行動を一致させなければ入れないとそう思い込んでいる人がいたとすれば、

・人をコテンパンに殴りたいと思ったら例外なくそうしてきましたか
・死にたいと思ったら死にましたか
・学校や会社に行きたくないと思ったら必ず行かなかったですか

そうではないでしょう?

もし、思いや感情と行動を一致させた生活をするなら、私たちは

刑務所か精神病院か墓の下

のどれかにいるでしょう。

思いや感情と行動は別であり、行動はこれらと独立して選択可能である

というスキルを身につけると、私たちの日常生活の苦しみのほとんどはなくなることでしょう。

これらはスキルですから、訓練によって身につけることは可能です。
しかし、それでもなお

いや、私にはできない

とそういう思考を信じるならば、

結局はこれまで同じことを繰り返す自分を自ら選択しているだけなのです。

もちろん、思考や感情は悪ではなく、楽しいときは笑い、悲しいときは素直に悲しむということは大切なものです。
しかし、自分を苦しめて生活や人生をがんじがらめにしてしまう思考や感情を信じて行動することは全く役立ちません。
このように、自分にとって役立つ行動はやり続けるとよいですが、役立たない行動は選択しないことを学ぶのです。

行動の選択の基準

正しい・間違い、という思考が生み出す価値観ではなく、
それが役に立つか立たないか


であります。

電車で足を踏まれた事例のように、

相手がすでにいないのに、思いを反芻してそれに対して腹立ちをし続けることが役立つ行為でしょうか。
相手がいても、怒りから生じた行動を選択して、罵声を浴びせ、暴力をふるうことが役立つ行動でしょうか。

正しさにこだわると、思考や感情はすぐに事実として正当化されてしまいます。

そうではなく、頭の中にある思考や感情に従って、今から起こす行動が果たして役に立つのか立たないのか
役に立たなければ、思考や感情を持ちつつ、それに反応しない選択は実は私たちはできるのです。

そうすると、私たちの生活や人生は大いに改善できることは間違いないのです。

私たちはそれらのスキルを身につけるために様々な技術を提供しています。

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