苦手な人がなくならない原因
誰だって苦手な人はいます。
今日はこの苦手な人について考えてみましょう。
もし苦手な人が目の前にいたとすればどうするでしょうか。
たぶんこんなことをするのではないですか。
- 我慢して話す
- 無視する
- その場を立ち去る
- 戦う
- 実はその人はいい人なんだと思い込むようにする
実際にその人が目の前にいると苦しいものです。
だから、我慢したり、逃げたり、戦ったりするのです。
たまには必死でその人がいい人だと思い込む頭の体操をする人もいます。
もっとすごいことがあるのです。
その人のことを思うだけでも嫌な思考や不快な気分が出てきます。
思うだけでですよ?
目の前にその人がいなくても、ですよ?
目の前にいても、目の前にいなくても「苦手な人」は付きまといます。
普段忘れていたとしても、ひょんなことで嫌な思考や感情が湧いて出てきます。
さて、ここで考えてもらいたいのは、
「苦手な人」
という人は存在するのでしょうか。
どうでしょうか?
私が何を言っているのかわからない人もいるでしょう。
私たちが「苦手」と思っている人でも、他人から見たらとてもいい人、あるいは全く気にもならない人など、その人についていろいろな評価があります。
この評価、というものは絶対的なもの、実体のあるものではなく、単に、私たちの判断にしか過ぎません。
そうです。
その人について私たちが「苦手」と判断しているだけなのです。
判断はどこにあるかといえば、私たちの頭の中にしかありません。
つまり、判断して出てきた「苦手」という頭の中にあるフィルターを通してその人を見ているのです。
もっと言うと、その人に対して頭の中にある「苦手」という判断をその人に投影しているだけなのです。
したがって、「苦手な人」と私たちが思うとき、その人に投影した自分の判断(思考)を見ているのです。
頭の中にしか存在しないもので、他人から見ることができないものは幻想とか妄想と呼ばれます。
私たちは「判断」という幻想や妄想をその人に被せて見ているだけなのです。
「苦手な人」というのはこの世には存在せず、
私たちが「苦手と判断した」人がいるだけなのです。
こういった幻想や妄想は、それ自体が幻想や妄想とは思いもせず、タチが悪いことに幻想や妄想の「正しさ」にこだわってしまうものです。
「正しさ」もまた判断ですから、幻想や妄想をさらに幻想や妄想で強化しているのです。
判断が頭の中にわき起こった幻想や妄想であることを忘れて、それが「正しいもの」と信じてしまうと「事実」のように錯覚するのです。
そもそもその人が目の前にいないのに、思うだけで嫌な思考や感情になること自体、その人に反応しているのではなく、自分の頭の中の記憶やイメージに反応しているのです。
これこそが幻想、妄想に反応していることに他ならない証拠です。
そうなるととても苦しくなってしまいます。
このようにしてみれば、その苦しさは自らの幻想や妄想をそのまま受け取っているからに過ぎないことがわかると思います。
私たちの頭の中には「苦手な人リスト」のようなものがあって、そこには苦手なタイプが分類されています。
そして、そのリストに属する人は誰であっても苦手になってしまうのです。
この世にはたくさんの人がいます。
私たちが持つ「苦手な人リスト」に属する人は、いくらでもいますし、こちらが望まなくてもやってきます。
そのたびに戦ったり、避けたり、嫌な気分を我慢したりしていては対人関係や対社会関係を豊かにすることはできなくなります。
自分が好む人と付き合ったとしても、いつ何時その人が「苦手な人」に変わるかわかりません。
幻想や妄想である判断に取り憑かれてしまうと、それに振り回されてしまう生活や人生を送ることになります。
これまでの私たちは幻想や妄想を無条件に事実として受け取ってきました。
しかし、判断が幻想や妄想ならば、私たちはそれに反応しないという行動をとることができます。
これらに反応せず幻想や妄想をそのまま放置することができます。
そもそも幻想や妄想を私たちは変えたり、取り去ったり、他のものに置き換えたりすることはできません。
幻想や妄想は実体ではないからです。
実体でないものに対しては対処ができません。
しかし、幻想や妄想を実体と信じてしまうと、これらに対して戦いを挑み、場合によってはそこから逃げ出し、さらに幻想や妄想を別の幻想や妄想で打ち消したり、強化してしまうのです。
これまで、嫌なことと戦ったり、嫌なことから逃げ出したりしてもその嫌なことから逃れられることができず、同じことを繰り返してきたのは、幻想や妄想を実体として錯覚してしまっていることが原因なのです。
幻想や妄想に対しては、それがあることを認め、しかし、それが幻想や妄想であると知り、それに巻き込まれないように反応せず、そのまま放置することなのです。
そして、何の判断もせず人やものを見るスキルを身につけるのです。
私たちはこれまでこんなことをしたこともなかったし、そんなスキルも持っていません。
しかし、これを技術として身につけると人生や生活は大きく変わります。
不必要な苦しみが嘘のようになくなってゆきます。
もちろん生きてゆくに必要な苦しみ(死ぬこと、病気になること、老いること、愛する人と別れること、叶わないことがあることなど)はなくなりませんが、それでも、それらをこれまでのように悪化させないようにすることはできます。
私たちV.d.s.は不必要な苦しみをなくしてゆくスキルを学ぶ場でもあります。
私たちV.d.s.の目的は
『避けられない苦しみを受け入れながら、不必要な苦しみをなくし、豊かで有意義な人生を送ること』
なのです。
私たちV.d.s.の考えや方法は仏教的に見えますが、第3世代認知行動療法をベースとしています。
科学的に苦しみを低減してゆくことができるようになります。
私たちの苦しみのほとんどは幻想や妄想の中に埋没し、それと戦い、逃げ出すことからさらに悪化してゆくのです。
いったんは幻想や妄想がおさまっても、次に現れた時はまた同じことを繰り返すのです。
こんなものは自ら作り出す不必要な苦しみに他なりません。
不必要な苦しみがなくなるだけで人生はとても広がります。
穴蔵から空を眺めるだけであった生活や人生から、本当の外の世界に出ることができるようになります。
苦しみに出会ったり、苦しみを自ら作り出しながら生きてゆく必要なんてどこにもありません。
人生は苦行ではないはずです。
人生において起きるあらゆるものは避けることはできません。
それを苦しみに変えて歩みを止めたり、逃げ出したりするのではなく、
そのまま歩いて行きましょう。
より良く、豊かで有意義な人生を送ることができるように、自分を変えてみましょう。
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